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D gray man 206夜  マリアの視線 感想2

/Dグレ206夜のネタバレを含みますのでご注意下さい。





昨日の夜、何回か206夜を読み直してみました。

最初に読んだ時は気がつかなかったんですが、クロスがエプロンしてる!
アレンが普通に生活出来るようになるまで、何日もクロスがお世話し続けていたんですね。。
そっか。
アレン君のおもらしの後始末も、シチューを作ったのも、「何回も」だったのね。

あんなに「マナ」べったりだったアレン君。マナをAKUMAにしてしまって、更に破壊してしまった後では、普通に生活出来なかったんだものなぁ・・。

(そういう所は気にしちゃいけないのかもですが、アレンは顔が痛かった一ヶ月の間は逆に自分でトイレへ行ってられたのだろうか?
クロスが「今度はションベンかよ」って震えていた所を見ると、それまではどうしていたんだろう。
どうも私のDグレへのつっこみのような疑問はトイレがらみが多いな(笑)
以前の方舟で、江戸の橋の下から突然攫われたあのメンバー全員、誰も三時間の間トイレに行かなくて大丈夫だったのかなとか。
野郎どもはいざとなったら外でも良いけど、リナ姫はまずいじゃないのよ)

以前ネアがアレンに言っていた
「お前も狂った人形になってしまった」
というのが頷ける過去でございました。番外編。

14番目にのみこまれずして、すでにマナ(アレンの思い出の中にいるマナの面影)と合体しちゃっているような、マナ破壊~今までのアレン。

最近、言葉遣いや肌の色や雰囲気で、14番目化をうかがわせたアレンだけれど、それ以前(1巻~22巻)のアレンは本来のアレンだったんですかというと、もうそこが微妙になってきちゃっているような。

三次元でも、ピンチの時やどうして良いかわからない時には、人は頼りになる人や、自分が理想的だと感じる人がどうしていたかを思い出したり、想像してその模倣している事は多いと思います。

だけれども、ピンチでなくても常日頃から特定の人の真似していると、「自分」はどこへ行ったの?
という事にもなってしまうわけで。
マナを失って、アレンの場合はマナの真似が常軌を逸してしまったように見えます。

本当のピンチ(頼れるものもあてになる指針もない時)や、どう生きて良いかわからない時ほど、最期は「自分」という大地が自分の立脚点になってくると思いますけど(追い詰められたらそれしかなくなるし)、アレンの場合自分の立脚点が自分でなくて、(アレンが抱いている)マナのイメージになってしまっているんじゃないかと思います。

良い悪いのジャッジの問題でなくて、精神的にものすごく不安定な人になってしまうから、私はこういう「他人を生きる」のに反対だったりします。
その人の幸せを考えたら、やっぱり不安定な精神より安定した精神でいられる方向を考えてしまうし。
だからクロスの
「マナの仮面をはずせ」「歩け自分で」
という遺言みたいなアレンへの指導に賛成でございます。

今回の番外編で、クロスにお世話をして貰っていた精神状態から、アレンは自分の足でなくてマナの足で立って歩き始めてしまった。
下手をすると、マナの仮面をかぶって表面的には普通に機能してしまっている事で、アレン自身は一歩も歩いてない「歩く人」だった可能性もあるように思います。

人形には自分の意思がない。
人形は自分の足で歩かない。

これまでの本編を読んでいると、アレンは自分の足で自分の人生を歩いているのだろうか?と疑問になる描写がいくつかありましたけど、今回の番外編でそこが決定的になったと思いました。

方舟で江戸から本部へ還ってきて、やっとアレンは自分(とマナ)に疑問を持った。
14番目の秘密部屋にあった楽譜で、ピアノが弾けて(14番目と初めてダイレクトに接触して)、やっとアレンは正常(自分)に戻る一歩を踏んだようにも見えます。
もちろん14番目との接触だけでなく、そこにはクロスパパンの再登場と残した言葉(愛)があったし、千年伯爵には追い詰められたし、自分探しの旅への最期の一押しはティキがしてくれたんですが。
(しかし全員14番目の関係者よね(笑))

今月号が、やっぱりアレンが自分へたどり着く出発点なんでしょうね。
例えて言うなら、東京から北海道を目指して歩いたとして、自分の靴に万歩計がついているんだけれど、アレンはマナの靴をはいて歩いちゃったから、アレンの万歩計は全然数が増えませんでしたというのか。
でも、歩いたから経験という筋力はちゃんとついたし、友達や仲間という筋肉もついた。
そして、東京から北海道を目指しているなら、今大阪にいるって「何かが」おかしいから、「何が」おかしいのかに気がつこうという所でしょうか。

アレンの場合北海道(誰かを救えるエクソシスト)を目指すのは決まっているから、ここは一度、方舟で東京へ戻ったという感じなのかも。

マザーの所は、14番目やマナのヒントになる物や知識が得られるのと同時に、アレンがアレンである事を置いて来てしまった場所。
ある意味、アレンが自分を見捨ててきてしまった場所。
だからこそ、そこが出発点なんだろうな。


「アレン ウォーカー」
と言って赤くなっていた子供のアレン。
こんな「自分らしさを閉ざしてしまった」子供の面倒を苦労しながらみてれば、クロスだって情をかけずにいられないと思います。
見捨てるなんて、やっぱり出来なかったんだろうな、、。

「狂った人形になってしまった」アレンを、師として育ててきたクロスの苦労が伺えます。

神田・リンク・トクサ・子供アレン・クロス。
さぁこの中で一番「自分の愛情とは逆の言葉を吐く、自分に対しての天邪鬼」、キング オブ ツンデレ は誰でしょう?(笑)
という質問をしたくなるようなクロスを見たように思います。


(そのパパンクロスが、何でアレンが消えてしまう運命にあるのに
「自分で歩け」
と言ったのか考えると、やっぱり、14番目が本来のアレンなんじゃなかろうか。
聖母マリアのごとき心のあるアレンにだって、そのイメージにそぐわない禍々しい部分はあると思うんですよね。人ってそういうものじゃなかろうか??)


しかし、今回の番外編、私にはタイトルの意味がよくわかりません。
マリアの視線というタイトルの、このマリアって誰ざんしょ??
マリアって聖母マリア?
今回の番外編はマザーの視点から語られているから、マザーの事?
それとも、最後にアレンがやってきて、あえてアレンの眼差しを描かない事で、アレンの目を強調しているようにも受け取れるから、アレンの事??

やっぱりアレンでしょうか。



私は、アレンらしさとは戦場で愛を叫ぶ道化のごとしな生き様にあるように思います。
ネアも、表面的な性格や行動は不明でも、根本はそういう人だったのじゃないかな。


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by basarasara | 2011-07-06 09:20 | D.gray-man感想


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