D,Gray-Man222夜のちょっと遅めの感想になります。
疲れ目ぎみだったので、少々休んでいました(^^;
サブタイトルのHypokrisisヒュポクリシス
クロス師匠がズバリ言ってるから、ヒュポクリシスそのものは偽善者と訳して宜しいのでしょうね。
ただ、クロスの言った
「偽善者」を「演じる」
て~? ん~?
「偽善者ぶる」という言い方が最近あるようでございます。
これ、意味わかります?
「善人ぶる」っていうならわかりやすいです。
つまりこれが偽善者↑ですよね。
だから、「偽善者ぶる」だと良い人ぶる人のフリをする。
フリのフリってどういう意味?
とややっこしくなってちょっと通訳いる(TT)日本語なのに通訳いる(笑)
更にここに「見せかけばかりの」が被る。
フリのフリのフリ・・・(笑)
「『偽善者』に見えることが解っていて、あえてそういう言動をとる」
今回クロスが言った「偽善者を演じる」は↑と訳して良いんじゃないかと思います。
この偽善の解釈は下の感想で書きますね。
(偶然ですけど、この日記の前に書いたWonderfulworldの中で、「偽善」を同じ意味で使っていたから、わかりやすかったです)
って事で、222夜に登場しました師匠!
来るべき時に来てくれたんですね。
そして今回やっと連載再会から一年たって、
アレン君が登場です(笑)
ビジュアル的には登場してましたけど、中身はネアでしたから。
(先月号、リンクとネアがあれからどうなったかはわかりませぬ)
☆☆☆☆☆
アレンはネアの中、精神世界で気が付く。
自分の体が存在している現実世界を知覚出来ない。
アレンの目の前に広がっているのは、ネアが子供の頃マナと一緒に育った屋敷と____
誰もいない広い広い麦畑。
アレンもこれはネアの記憶なんだと理解して、本能的に危険を察知。
「ここがお前の終着地
アレン・ウォーカーの消える場所だ」
クロスの声がこの場所がどういう場所なのかアレンに教える。
いつの間にか、アレンは子供のアレンに戻っていた。
クロスと初めて旅立った日。
「アレン・ウォーカー」になった日の自分に。
ウォーカー。
歩く人の終着地がここだと、隣にはいつの間にかクロスが立っている。
「奴を知ろうとすることは
同時にお前が消えていく事なんだよ」
なんで・・?どういう理屈?私こういのサラっと聞き流せないタイプ(笑)
なんて嫌なタイプなんだ(笑)
幼いアレンは絶望的な未来を告げる師匠を見上げて、希望的観測を伝える
「・・僕は14番目のことを知りたいんです。
だって 何も知らない・・・
知れば何かを 変えられるんじゃないかって・・・!」
多分、何がどうなっているのか、今一番わかっているだろうクロスが断言する。
「何を変えたい?
このまま先へ進んだところで
宿主アレンが消える末路は変わらんぞ」
☆☆☆☆
うっわー・・。断言されちゃいましたよ。
アレン君も、最初に宿主の件を知らされた時と違って、今は
「浸食される感覚」
を何度も知っている。
体感的に知る前なら意志の強さで乗り切れそうな問題だと思えても、知っちゃった後では
「これはダメだ。意志でどうこうなる問題じゃない」
とわかってる、、、(--;
実際アレン君は時系列で考えたら「昨日」14番目になって、ジョニーに危害を加えている。
その時だってその前にだって、もう浸食されて
自分が消える感覚の恐怖に追い詰められてます。
自分が消えてしまう感覚を自分ではどうにも出来ない。
今はまだネアからアレンに戻れているけど、戻ってこれない時がくる。
↑クロスも見るに見かねたんでしょうね。
親としては我が子が恐怖に苦しんで、しかも解決策なんかない、こんな姿を見るのは本当に辛い。
だから、自分も一緒にいてやるし、色んな辛さから解放されるからと「終わる為」の手を差し出す。
このまま、マナとの思い出の中で安らかに終わるという方法もあるんだと。
アレン君も、ちょっと迷います。
どっちの不幸が良いですか?っていう究極の選択です。
苦しまずに今終わるか、苦しんで恐怖を味わう形で命を先伸ばしにして結局終わるか。
☆☆☆☆
師匠の手を取ろうかと迷ったアレンはリナリーを思い出す。
「どこ行くの・・?」
アレンが教団から出ていく時、たった一人だけ間に合ってくれた仲間。
「行かないで」
という言葉の代わりに涙をポロポロこぼしていたリナリー
あの時アレンは思った。
リナリーやみんながいる教団が好きだよ。僕のホーム(帰る場所)
「何があっても僕はエクソシストだ」
リナリーに告げた心からの言葉。
そう。僕はエクソシスト。僕が僕である以上誰かを救うエクソシスト___
「・・・ここが終着地だよと 言われたからって・・
「はいそうですか」
と受け入れる僕だと思いますか・・・?
この右手は 人を守る為に使うんです・・
屈服はしない
僕は14番目になるワケにはいかない」
☆☆☆☆
もうアレン君は震えつつ涙ぼろぼろです。
「自分であり続ける」と。
しかし、その次には
これまでのアレン君だったら絶対言わない事を言った
☆☆☆☆
「いつか僕の歩いた道が誰かの糧となって
この戦争が終わる日へと続いていくかもしれない
だから僕は僕のすべてを賭けて
立ち止まりません」
☆☆☆☆
これってもう自分の死を前提にしている言葉です。
自分の後に続く「誰か」とか、来るかわからない「いつか」に望みを託すなんて、これまでアレン君は一度もやんなかった。
これまでは、いつだって自分が何とかしてきた。
でも、もうそれが出来ない。未来がない者は「いつか」や「誰か」に託すしかない。
もう自分は消えるとアレン君もわかってる。クロスもわかっている。
わかっていて「僕は消えない、14番目(ノア)に負けない」そう思う人が歩く道を歩き続けていく。
口に出した綺麗事を実行出来ない人を偽善者(Hypokrisis)と言う。
消えない・負けないという断言を「偽り」にしか出来ない宿主の運命。
なんていう悲しさでしょうか・・
その強さが「見せかけ」にならないように、、、
泣いて震えるだけにならないように、、
根性出して強気でいけよと、クロスパパは叱咤してくれはりました。
「だったら一人で歩け 馬鹿弟子」
(とても悲しいシーンだと思いますが、一応ワタクシはまだ希望的観測は捨てないでおこうと思ってます。ネアとアレン、元々同一人物説 )
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Hypokrisis
私はこれをヒポクリシスって読んじゃいましたけど、ヒュポクリシスと読むらしいです。
意味は私の解釈で合ってたみたいです。(自信なかったけど良かった(笑))
舞台の見せかけの役⇒言葉と行動の一致しない人という意味です。
感想2へ続きます
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